平和の詩

向日葵の季節には、ロシアによるウクライナ侵攻も収まり、平和が訪れていると信じていた。しかし4ヶ月、未だに悲劇は続いており、世界中の人々の願いは届いておりません。平和の願いは記憶の彼方へと風化させてはならない。「菊水の風と香り」と名付けた拙いブログですが、私も命ある伝える者として、1941年よりの3年9ヶ月に亘る太平洋戦争、沖縄戦、長崎、広島の教訓を細やかですが伝えられたらと思います。平和の大切さを。



77年前の1945年、日本軍は沖縄を本土防衛の最後の拠点とし、連合国軍は日本本土に攻め入るための基地として、沖縄諸島を攻略しようと試みました。沖縄戦では、連合国軍と日本軍を合わせて20万人以上の犠牲者が出ています。そのうち、一般の犠牲者は推計で約10万人で、沖縄県民の4人に1人が命を落とした壮絶な戦いでした。

沖縄は6月23日、「慰霊の日」を迎え、「沖縄全戦没者追悼式」が糸満市の平和祈念公園で営まれ、沖縄市立山内小2年の徳元穂菜さん(7)が「平和の詩」を朗読しました。感動の「平和の詩」の全文をお読みいただければ、幸いです。

平和の詩
「こわいをしって、へいわがわかった」
沖縄市立山内小学校2年 徳元 穂菜(ほのな)

びじゅつかんへお出かけ
おじいちゃんや
おばあちゃんも
いっしょに
みんなでお出かけ
うれしいな
こわくてかなしい絵だった
たくさんの人がしんでいた
小さな赤ちゃんや、おかあさん
風ぐるまや
チョウチョの絵もあったけど
とてもかなしい絵だった
おかあさんが、
七十七年前のおきなわの絵だと言った
ほんとうにあったことなのだ
たくさんの人たちがしんでいて
ガイコツもあった
わたしとおなじ年の子どもが
かなしそうに見ている
こわいよ
かなしいよ
かわいそうだよ
せんそうのはんたいはなに?
へいわ?
へいわってなに?
きゅうにこわくなって
おかあさんにくっついた
あたたかくてほっとした
これがへいわなのかな
おねえちゃんとけんかした
おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
そして仲なおり
これがへいわなのかな
せんそうがこわいから
へいわをつかみたい
ずっとポケットにいれてもっておく
ぜったいおとさないように
なくさないように
わすれないように
こわいをしって、へいわがわかった